Yojodo Café — Episode 7
Words Left Unspoken
その日、養生堂は少し静かだった。
「芍薬ちゃんと大棗ちゃんは?」
生姜が店内を見回す。
「買い出しだよ」
甘草が本を閉じながら答えた。
「今日は二人で市場へ行ってる」
「へぇ」
生姜は少しつまらなそうに頬を膨らませた。
いつも賑やかな二人がいないだけで
店はガランとした感じになる。
そんな午後だった。
扉の開く音が鳴るまでは。
入ってきたのは四十歳前後くらいの女性だった。
身なりは整っている。
顔色も悪くない。
けれど。
どこか苦しそうだった。
「こんにちは」
クコが声をかける。
女性は小さく会釈をし、窓際の席へ座った。
そして。
何度も喉元へ手をやる。
白湯を飲む。
また喉を触る。
深呼吸をする。
けれど落ち着かない。
少し離れた席でお茶を飲んでいた半夏が、ぽつりと言った。
「……あ」
「ん?」
生姜が振り向く。
「詰まってる」
「何が?」
と不思議そうな顔をする生姜。
半夏は湯飲みを抱えたまま女性を見る。
「たぶん、言葉」
生姜は首を傾げた。
意味が分からない。
「言葉が詰まるって何だよ」
その時。
窓際にいた蘇葉がふわりと笑った。
「ほんとだ」
「息も止まってる感じ」
「息?」
「うん」
蘇葉は窓を開けた。
柔らかな風が店へ流れ込む。
「風が通ってないんだもん」
その様子を見ていた厚朴が静かに立ち上がった。
スラっと高く、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「無理に聞くもんじゃないわ」
生姜が口を閉じる。
「話したい時に話せばいいのよ」
厚朴はそう言うと、女性から少し離れた席へ腰を下ろした。
「それまではお茶でも飲んでればいいの」
そっけない態度とはうらはらに、言葉は不思議と温かかった。
しばらくして。
クコは湯気の立つ茶碗を女性の前へ置いた。
「よろしければ」
女性は小さく頭を下げる。
両手で茶碗を包む。
温かい。
ただそれだけなのに、少しだけ肩の力が抜けた。
店の中には静かな時間が流れた。
誰も急かさない。
誰も話さない。
ただ湯気だけがゆっくり揺れている。
やがて。
女性がぽつりと呟いた。
「私……」
言葉が止まる。
喉が詰まる。
何かを言いたいのに出てこない。
「無理しなくていいのよ」
蘇葉が優しく言った。
「言葉ってね」
窓の外を見る。
「出てこない時は押しても出てこないから」
女性は俯いた。
そして。
しばらくしてから、また口を開く。
「主人に……」
女性はそこで言葉を失った。
茶碗の湯気が揺れる。
「私……疲れていたんだと思います」
それだけ言うのに随分時間がかかった。
「ずっと伝えたかったんです」
女性は膝の上で手を握りしめる。
「助けてって」
半夏が小さく頷いた。
「それだ」
女性が顔を上げる。
「え?」
半夏は眠そうな目のまま言った。
「喉じゃない」
「言葉だよ」
女性は何も言えなかった。
代わりに。
涙が一粒だけ落ちた。
「本当は……」
震える声。
「ずっと苦しかったんです」
「子育ても」
「家事も…」
「仕事も」
「義母の介護も…」
「全部大丈夫って」
「頑張れば何とかなるって思って」
女性の声が震える。
「でも……」
「助けてって言えなくて…」
「気づいてほしかったんです」
その時だった。
厚朴は静かに頷いた。
「そりゃ苦しかったね」
それだけだった。
慰めでもない。
励ましでもない。
ただ受け止める。
女性の目から涙が溢れた。
「私……」
「誰にも言えなかったんです」
「迷惑かけたくなくて」
厚朴は優しく笑った。
「頼るのは迷惑じゃないのよ」
「一人で抱える方が苦しい」
その声は大きくなかった。
けれど真っ直ぐ届いた。
ふう……
長い息が漏れる。
女性は自分でも驚いたような顔をした。
胸に手を当てる。
「あ…れ……」
もう一度息を吸う。
さっきより深く入る。
肩の力が抜けていく。
蘇葉が嬉しそうに笑った。
「ほら」
「風、通った」
半夏も小さく頷く。
「うん」
「やっとね」
女性は泣きながら笑った。
夕暮れが近づく頃。
女性は立ち上がった。
「帰ったら……話してみます」
クコは微笑んだ。
「うまく話せなくても大丈夫」
「最初から綺麗な言葉じゃなくてもいいんです」
「伝えようとすることが大切だから」
女性は何度も頷いた。
「ありがとうございました」
今度はちゃんと声になっていた。
扉の閉まる音が静かに響く。
女性の背中が夕暮れの中へ消えていく。
「帰ったね」
生姜が呟く。
「うん」
蘇葉は窓から入る風を感じながら微笑んだ。
「いい風だった」
半夏は湯飲みを抱えながら欠伸をする。
「眠くなった」
「お前なぁ!」
生姜が思わず突っ込む。
厚朴はそんな二人を見て笑った。
「まぁまぁ」
その時だった。
扉が勢いよく開く。
「ただいまー!」
大棗だった。
後ろには荷物を抱えた芍薬もいる。
「あれ?」
大棗が店内を見回す。
「知らない人増えてる!」
「誰!?新入りさん?」
厚朴は湯飲みを抱えたまま手を振る。
「どうも」
蘇葉も笑顔で手を振った。
「こんにちは!」
半夏はそれを見てニヤリとしている。
芍薬は三人を見てからクコのほうに視線を向けて微笑んだ。
「なるほど」
「今日はそういう日だったのね」
クコも静かに微笑み返す。
養生堂の灯りは、
今夜もやさしく揺れていた。
第七話 ~完~



仕事を抱えて弱音を吐けずに溜め込んでいた頃を思い出しました。
苦しさそのものよりも、「助けて」と言えない構造の方が人を追い詰めることがあるのかもしれません。
弱音を受け止めてくれる人。
そして、弱音を吐いてもいいと思える自分。
そんなものが心に通る風になるのかも知れません。
キタキタキター!知ってる人たち!
僕は昔、半夏厚朴湯を使っていたことがあるんだよね。
のどに何かが詰まっている感じがして、食べ物も水すらも通らない。ファイバースコープで見ても喉には何もない。
ヒステリー球。精神的なものだったんだと思う。
それで、半夏厚朴湯を処方されました。しばらく飲んでたなぁ。